由 緒
お寺の歴史
弁財天の歴史
Temple History
当寺は、かつて地域に点在していた三つの寺院、すなわち密蔵院、高久の寺、神谷作の寺が併合されることで成立しました。この統合により、歴史と信仰が一つの場に集約され、現在の本堂が形成されました。本堂には、地域の厚い信仰を象徴するように、多くの仏像が安置されています。特に注目すべきは、大日如来像が二体存在する点です。一体目は、享保年間(1716年~1735年)に作られたとされるもので、体長83cm、作者は不詳です。この歴史ある大日如来像は、本堂内で静かに信仰を集め続けています。もう一体の大日如来像は、体長36cmであり、元は神谷作の地にあった修善院に安置されていました。その後、修善院が当寺に合併された際に、本堂の位牌壇へと移されました。こうして、各寺の歴史とともに信仰が継承されています。また、昭和25年に本堂が再建された際には、近隣の沼の周囲に生い茂っていた木々が使用されました。この地の自然の恵みを受け、現在の本堂は建立されたのです。当寺は、他の寺院と比べても特に仏像が多く安置されており、これは地域の篤い信仰を反映したものといえます。長い歴史の中で、地域の人々の信仰を支え続けてきたこの本堂は、今もなお、多くの参拝者にとって心の拠り所となっています。
鐘楼堂
Bell Tower
当寺には鐘楼堂があり、晦日の日には除夜の鐘として鳴らされます。
半鐘
Half Bell
本堂と庫裡をつなぐ渡り廊下には半鐘が吊るされています。この半鐘には「宝永五年(1708年)真賢住代」と刻銘があり、江戸時代中期から続く歴史を伝えています。長きにわたり、当寺の重要な存在として時を告げ、人々に信仰の場を守り続けてきました。
密 徳蔵と一院 菩 薩
tokuitubosatu
密蔵院は、奈良時代から平安時代にかけて活躍した高僧・徳一菩薩によって建立された20ヵ寺のうちの一つです。徳一菩薩は、筑波を出発し、いわきを経由して会津へと渡りました。彼は、真言宗の開祖・空海や天台宗の開祖・最澄とも関わりを持ち、仏教界において重要な論争「三一権実諍論」に関与するなど、その影響力は計り知れません。彼の活動は、地域の信仰の礎を築き、後の仏教文化の発展に大きく貢献しました。また、徳一菩薩は厳しい修行を行ったことでも知られ、千日間の水行を行い、3月15日の暁に観音を拝むという修行を続けました。その信仰と修行の精神は、今もなお多くの人々に語り継がれています。