由 緒
お寺の歴史
弁財天の歴史
Benzaiten History
当寺には弁天堂があり、弁才天をお祀りしています。この建造物は、延享4年(1747年)に内藤備守政樹によって造営され、拝殿は明治時代に建てられました。
本尊は、木造彩色の八臂を持つ清龍弁才天であり、秘仏とされています。弁天堂では、毎年元朝護摩が厳修されるほか、今後は写経の場としても活用される予定です。
また、己巳の日には特別に弁天様が御開帳され、多くの参拝者が訪れます。この神聖な場は、古くからの信仰を受け継ぎ、地域の人々にとって重要な祈りの空間となっています。
楼門
Gate House
弁天堂の楼門は、かつて平城の門を改築したものです。この門には、江戸時代の名工・左甚五郎作とされる「せみ」の彫刻が施されています。左甚五郎は、日光東照宮の三猿や眠り猫など、数々の名作を残した名匠として知られています。
魚見堂
Fish Viewing Hall
魚見堂は文化6年(1809年)に建立され、長らく地域の人々や参拝者に愛されてきました。近くに広がる沼は、信仰の場としても親しまれ、参拝者の憩いの場となっていました。しかし、2011年3月11日に発生した東日本大震災によって護岸が崩壊し、魚見堂も被災してしまいました。その後、2013年6月から護岸修復と魚見堂の再建が進められ、2014年3月に完成し、現在の姿となりました。再建後も、魚見堂は見所の一つとして親しまれています。今もなお、鯉や亀、鴨などの生き物が生息する広大な沼を一望できる場所として、多くの人々に愛されています。
賢沼
kashikonuma
当寺の近くには「賢沼」と呼ばれる沼があります。この沼は「底なし沼」とも言われ、古くから伝説や信仰の対象とされてきました。その神秘的な存在は、地域の人々にとって今なお興味深いものとなっています。
徳尼御前
徳尼御前は、大舘城主・岩城則道の妻でありました。夫の菩提を弔うために出家し、賢沼の畔に庵を建てて観音様を拝み続けました。ある夜のこと、観音様が姿を現し、「そなたの信仰心はまことに感じ入ったぞ。そのうち訪ねてゆっくりお話をしよう」とお告げをくださいました。その後、薄磯村の政井五平という人物が、海岸に打ち上げられた天女像を発見し、この庵に納めました。こうして、徳尼御前の篤い信仰と共に、観音様への信仰が一層深まりました。